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【インタビュー】「魅力化」は続けること

update:2020.12.29

大崎海星高校コーディネーター 円光歩さん

大崎海星高校の魅力化コーディネーターとして、取釜宏行さんとペアを組むのが円光歩さんだ。島に生まれ、海星高校を卒業。大学を卒業して島に戻ったところで、廃校の危機に出くわした。円光さんは言う。「魅力化」で行う一つ一つはとても「地味」だ。それを、やり続けること、関わる人たちがみんなで向き合うことが、学校や地域の変化につながっていくという。

「島の教育に関わりたい」

「島の子どもを育てたい」「島の教育に関わりたい」と思っていました。自分は、小中高でいい先生に出会い続けてきていて、昔を振り返って、「よかったな」と思える瞬間はたいていが学校と地域でした。特に小学校の先生は、勉強以外のいろいろな面でも「やればできる」と感じさせてくれて、その感覚がその後も続います。だから、自分も教師になりたかった。先輩に奢ってもらったから、自分は後輩に奢るような感覚ですね。

海星高校へ入学したのも、教師になるためでした。島から出て本土の学校に行っても、中盤くらいになるだろうし、通学にも時間がかかる。一方、島の高校に3年間通ったら、推薦で絶対に国公立に行けて、部活動もちゃんとできる。どうせ大学では島を出るんだから、島に残ったほうがメリットがあると思いました。正直に言えば、外に出る勇気がなかったというの面もあります。自分は、絶対に勝てる勝負じゃないとやらないんで。高校で先生に相談したら、「鳥取大学で地域教育をやっている部活が向いている」と言われて、最終的にはAO入試で入りました。

—それでも教員にならなかったのはなぜですか。

なれないじゃないですか。ある時気づいたのは、教員人事は県単位で動くので、どこの学校で働くのかを選べない、ということです。島の教育に関わりたいのに、島で働けなかったら意味がありません。島からはどんどん人が減り、活気がなくなっていく中で、例えば、自分が島外で暮らしていて、土日にちょっと帰ってやることだけではまちは変わらないと思います。島の外から「自分も何かやりたいな」と考えるだけではストレスを感じると思うし、仮に、どこかのタイミングで島の学校に来たとしても、「もっとこうしていれば」と文句を言う人になってしまうかもしれない。それならば、ここで暮らす人になりたいと思い、島に戻ってくることになりました。

だから、コーディネーターの仕事がしたかったというわけではありません。町として島に学校が必要なのに、廃校しそうになっていたから、取釜さんとやれることを探して、それを手伝わせてもらっている。その役割の名前が、たまたまコーディネーターでした。

—コーディネーターの仕事

今は、集落支援員として町に雇われている形です。業務としては大きく三つあって、①週3回の大崎上島学の授業、②授業の打ち合わせを含めた寮や学校、役場との会議、③生徒募集の方法を考えたり、説明会や受け入れの準備をする仕事がそれぞれ3分の1ずつです。取釜さんが外向きの仕事が多いのに対して、自分は校内と島内に魅力化を広げていく、内部向けの仕事が多いイメージです。学校の先生と関わることも多く、学校には毎日来ますね。

学校にコーディネーターの席はないんですよ。なくても問題ないんで。学校との関係性をこれからつくらなきゃいけないところには必要だと思いますが、席がなくても普通に入れて、先生たちと話せるなら、必要ないと思います。

「一から議論」の余裕ない

魅力化を始めた当初は、とにかく「大枠」から始めました。島外から生徒を受け入れるための寮をつくって、公営塾を設立して、地域学習を設計することです。「生徒が集まらなかったら統廃合」という中で、一から議論している余裕はなかったんですよ。とにかく何をやる。そうしないと潰れてしまう、という状況です。

地域みらい留学フェスタの様子

生徒募集でもかなり苦戦していて、何十万円を使って東京で説明会をやっても、誰も来んかった。どうすればいいのか、と途方に暮れた経験があります。だから、「地域みらい留学」の制度は大きいですね。単独で広報活動はやってきた学校は、説明会に人を集めることがどれだけ大変かが分かっていると思います。来てくれさえすれば、あとは魅力があるかどうかです。もちろん、個別での説明会も大事です。自分たちに明確に興味のある人はどういるか分かりますから。今では地域みらい留学の中でも知られるようになってきて、中学生の個別の見学も頻繁に入るようになっています。

 

—コーディネーターのやりがいは?

生徒が成長しているのを目の当たりにできる。それを先生が「いいな」と思っている瞬間、地域の人もよかったなと思っている瞬間に出会える。それだけじゃないかな、と思います。劇的なことというよりも、小さなできごとがいっぱい浮かびます。

教育に確変はなくて、地味なことを続けていくことしか効きません。仕事図鑑のインタビューで、人と話すのが苦手な生徒がアドリブの質問をできるようになったり、やんちゃしてた生徒が「クラスの中に自分の話を聞いてくれる人がいる」と気づいたり、よく遅刻してくる生徒が少しだけ早く来るようになったり。そういう瞬間に出会うと、やってきてよかったなと思います。

うちは海士町のようにはっきりとしたビジョンはなくて、とにかくやらなきゃ、から始まりました。でも、それをやり続けているし、考ているし、向き合っている、それも、「みんなが」という部分が大きいと思います。「よくなってきたからやめよう」「あとは別の人に任せよう」という人も誰もいない。年度はじめに関係者が集まる会ができるなど、少しずつ「やってきたこと」のコンセンサスをとる仕組みづくりも始まっています。もちろんまだ安心はしていません、いろんなところから人が来て、多様性が増す中で、地元の子が通えてよかったという学校ができるといいなと思っています。

いろんな人がいろんなことをやっているのがこの町の魅力ですね。面白いことをやろうとすると、それを応援する人が現れて、それも、各業界のキーマンがそれぞれいて。「応援する」が大事です。島では人数少ないから、誰かと一緒にやらなきゃいけないというのが前提なんですね。でも、やってみると、そっちのほうが面白いなと思う部分が大きいです。そういう空気が好きだから、いつか戻りたいなと考えて、それが今につながっているのだと思います。


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