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【インタビュー】隠岐島前高校 大野佳祐さん

update:2020.06.23

学校と地域に火をつける仕掛け人

島根県立隠岐島前高等学校 学校経営補佐官 大野佳祐さん

隠岐島前高校魅力化プロジェクト魅力化コーディネーター/株式会社余白探求集団代表取締役/一般社団法人ないものはないラボ理事
1979年東京生まれサッカー育ち。大学卒業後、早稲田大学に職員として入職。競争的資金獲得などで大学のグローバル化を推進。2010年にはプライベートでバングラディシュに180人が学ぶ小学校を建設し、現在も運営に関わる。2014年には仕事を辞めて海士町に移住し、隠岐島前高校魅力化プロジェクトに参画。

 

海士町に出会ったきっかけ

ーそもそも、島前高校と出会ったきっかけは何?

(大野)前職の大学職員をやめたあと、自分で会社を起業しようと思っていた。小さい子どもを対象にした「旅」をテーマにしたプロジェクトに関心があった。豊田さんとはもともと知り合いで、数回海士町による機会があった。当時コーディネーターだった岩本悠さんや吉本課長(現副町長)と出会ったときに、小中の島留学を始めることも聞いて、共感する部分もあったが、最初はそこまで乗り気じゃなかったんだよね。

ただ、その後、岩本悠くんが辞めるということを聞いて、第二の創業期、難しいからこそ、飛び込んでみよう、自分で好き勝手会社をつくるより、島前地域の仲間と一緒にやってみようという気になったのが最初。

 

周囲の「無理でしょ」からの挑戦ー非常識と常識ー

ーそもそもコーディネーターとして最初の仕事はどういうものでした?

明確に言われていたのは、「スーパーグローバルハイスクール(SGH)」の申請。地方の離島という、ローカルによりがちな教育リソースのなかで、どうグローバルを考えていくのか議論しているときだった。前職の大学職員のとき、スーパーグローバルユニバーシティの申請に関わることもあったので、そういうところも役割として期待されていたと思う。大学職員のときも文理横断型のプロジェクトなので、政経学部と理学部をつなぐとかコーディネーションというか。それほど得意だったとは思っていなかったけれど、関係しそうな先生のところに声をかけて、巻き込んでいって、みたいな。当時も、そういう手法だったかも。今も変わらないね。
そうやって、嫌われる人には嫌われるし、すごく仲良くなる人もいるし、「あいつ、ヤバいぞ!」みたいな。

海士町に来たのが11月で、申請〆切が2月。
初等中等教育は分かっていなかったけれど、教育基本法や関連書類読んで、授業を見させてもらって、島前高校のカリキュラムを理解して。単位認定のことも最初は分からなかったけれど、なんとか吸収しながら申請の準備を進めていったかな。

 

ー結果、SGHに採択されたんですよね。結果もすごいんですが、SGHの申請など具体的なプロジェクトを進めるうえで大事にしてきたことは?

そうだね、つながりを大事にしようというのことを考えていて、地元の人からロシアとの交流の話を聞いたことが始まり。西ノ島のSさんという方なんだけど、その方が高齢になってきて、そのつながりを次世代に残したいというのがあって。じゃあ、申請が通った際には、Sさんのつながりでロシアの方を紹介してもらって、実際、先生と一緒にウラジオストックへの訪問が実現したんだよね。
何もないところといきなり何かやるんじゃなくて。そういった掘り起こしを大事にしているかな。

 

ー他にも海外との接点はあったりします?

いまつながりがあるのがシンガポールやブータンやロシアかな。シンガボールは岩本悠君のときのつながりで、ブータンは、GDP(Gross Domestic Product/国内総生産)ではなく、GNH(Gross National Happiness/国民総幸福量)の理念があるじゃない。それって、海士町の「ないものはない」と近いものがあって。実際にブータンとプロジェクトを進めていくときには早稲田大学の平山先生(ブータン研究、比較教育学専攻)に協力を依頼したんだよね。まず、平山先生を呼ぼうというのから始まって。その後平山先生に全校生徒の前で講演をしてもらって。
それで、生徒も「行きたい!」という子がでてきたんだよね。

 

ー平山先生とはつながりがあった?

いや、ない。笑。自分から連絡をとった。

実際のプロジェクトは、平山先生と相談しつつ、生徒たちともどんな探究をしたいかを聞きながらで。生徒には最初から決めずに「何がしたい?」「何に興味がある?」という風に。平山先生には伴走をしてもらい、僕は生徒の伴走をするみたいなやり方でプロジェクトを進めてきたなという。

 

―他にも都市部で活躍している有名人や企業経営者などいろいろな人を学校の中に巻き込んできたと思いますけれど、
それって場合によっては、嫌がれることもあるのでは?つなぎ方のポイントってあったりします?

無理を突っ込めるように、日常的にコミュニケーションをとって、「大野はこんな人」と思ってもらえるように。「あいつが言うならしょーがねーな」みたいな。
そんなコミュニケーションをとっていくことかな。

そう、学校の中の非常識であること。当然、学校の常識ってあると思うんだけれど、常識と非常識が混ざるとこるにイノベーションは起こると思っていて。
学校ってそもそも閉ざされがちなところがあって。学校の常識と社会の常識もそうでしょ。もちろん重なるところもあるけれど。ある著名な方を呼ぼう!と先生に話した時も、「予算がないから無理だよ」という反応をされて。
僕が「予算はこっちで算段つけて、やってみますよ」と。当然、算段なんかなかったんだけれど、なんとかなった。

SGHのときも、校内では「無理でしょ」という雰囲気もあったけれど、僕は「やってみましょうよと。やってだめだったら仕方ないけれど、やらなかったら何もない。」って考えていて。実際やってみることで、採択されたんだよね。そんなふうに、学校の中の非常識が、違う見方もあるというのは先生も少しずつ感じてくれていて。もちろん、学校の常識も大事なところもたくさんあるんだけれど、あえて僕は非常識な存在として、学校の常識に寄り過ぎずないようと思っている。

目指したい未来に向けて、「チーム学校」をリードする

ー大野さんの動きは、学校内にとどまらない。時には町村長や教育長と協議をし、県の教育委員会や文科省との調整にも動く。魅力化プロジェクトの今後の方針を決める次期魅力化構想の策定では、それぞれのニーズを汲み取り、方向性を示していく中心的な役割を担っている。今の立ち位置はどうやって作られた?

自分の立ち位置は、自分がつくってきたというより、必要だからやってきた、あくまでも役割を果たしているという感覚。町村長と校長で協議をしていく場は自分の役割として進めていく。
ちょうど明日も「魅力化の会」(島根県立隠岐島前高等学校の魅力化と永久の発展の会 通称:魅力化の会)があるんだけれど、年間計画や予算案など大事な会議。

ー例えば、次期魅力化構想を策定している最中だと思うが、ビジョンづくりにおいての大野さんの役割は?

もちろん、自分自身にもビジョンがあるけれど、それを示すということばかりじゃない。たたきを自分がつくって、皆さんから意見ももらうこともあるし、みんなの意見をベースに議論をしていくこともあると思う。次期魅力化構想のときには、僕の意見というより、みんなの意見を編集していく役割だったかな、まさに。

 

ーコーディネーターという仕事は大野さんにとってはどういうもの?

コーディネーターにはプロデューサーシップの強い仕事と、コーディネーターシップの強い仕事があると思う。自分は前者が大きくて、学校と県教委の調整、3町村の調整など大きいところを調整していくところが多いように思う。僕から教育委員会の担当者に連絡して、「今、こんなことを考えているんだれどお時間いただけませんか?」と。今日もこうして知夫村に来ている。
大事にしているのは、関わる相手の願いを叶えるというか、自分たちだけがいいのではなくて、相手にとってもいいと思えるものを意見を交わしながらつくっていくこと。

無理してのってきてもらっても、後で続かない。「あなたはどう思うのか?どういう形で関われると思いますか?」とか意見を聞きだすことは最低限していると思う。何もないところに石を投げて、波紋が広がったところに議論が起きていくというイメージかな。

ーいまでは、島前高校は魅力化に関わるスタッフも20人以上いるチーム。大野さんの仕事は他の地域と比べてスケールが大きいように感じるが・・・

うーん、それは歴史かもしれないね。悠君がつくってきた土台があって、その都度その都度町村長と足を運んで議論してきたところがある。
もちろん、日常的なコミュニケーションもだし、飲み会の場だったり、日常的に電話をして、感謝を伝えたりとか。

ーそんなコミュニケーションはもとから大野さんは得意だった?

いや、全然。それは道川先生(当時の島前高校魅力化コーディネーター(派遣社会教育主事))から教わったこと。事前にこの人に話をしておくといいよ、とか。感情に配慮するとか、失敗したら謝るとか。そういうことは道川先生から学んだと思う。東京時代の仕事の仕方とは全く違う。感情面は無視して結果をだすことが一番だったけれど、ここでは仕事と生活がとにかく近いんだよね。島の暮らしは、ここで嫌われたらやっていけないじゃん。失敗したり、迷惑をかけることもあるけれどちゃんと謝ることは大事にしている。仕事と暮らしが近いから正直に生きていくというかね。

 

ー最後に、今後に向けて考えていることは?
もう一度、非常識に挑みたい。授業もだし、学校経営の在り方もだし、先進事例を世の中に示していくことは大事なこと。島前高校の魅力化プロジェクトの過去10年は地域側が引っ張ってきたと思う。学校の存続の危機という課題に向き合って戦ってきた結果、廃校の危機は脱しつつある。

次は学校の出番。学校がやりたいことを地域が支える10年。それが次への宿題だと思っている。
意思ある未来のつくりかた

 

▼よくあるスケジュール

05:00-08:00 起床・朝食・準備
08:00-09:30 役場でミーティング
09:30-12:00 高校で課題解決型学習
12:00-13:00 昼食
13:00-15:00 課題解決型学習の視察対応
15:00-17:00 高校の職員会議に出席
17:00-19:00 隠岐國学習センターで視察対応
19:00-23:00 視察団との懇親会

▼コーディネーターってどんな存在ですか?

海士町長 大江和彦
コーディネーターは、多様な人びとを繋ぎ、世界の動きを捉え、地域・高校の魅力を形にしていく存在です。
人によって様々な得意分野がありますが、大野さんはプロデューサー的ですね。ビジョンづくり、組織づくりには欠かせない存在でしょう。みんなの声に耳を傾け、現場の声に輪郭をもたせて島前3町村長や県に届け、議論をリードしながら、実現への可能性をみせてくれます。
この島での教育の変化が、世界の教育を変えるという気概が伝わってきます。大きな目標に向かうその姿が、地域や組織の小さな違いを乗り越えさせ、島内外の多様な人びとを巻き込んでいるのでしょう。
大野さんたちとよく話すのは、この挑戦は「思い出づくり」なんだということ。どうせやるなら大きいほうがいいし、失敗してもいい、多くの人を巻き込んで、最後に笑いあえたら最高だ、と。大野さんたちと共にチャレンジをし続けるこの町の雰囲気をつくっているところです。

 

※2018年取材の記事を再編集・追加取材をしています